4月10日のくの字
 <Sabject:トイレにて(’_’?)>
 

 かなり突然に、しかも尾篭な話題で恐縮ですm(_ _)m お食事中の方、ごめんなさい(って、PC見ながらメシ喰うヤツ、いるのか?・・・↑マスコミの常套句をマネしました)

 で、トイレの何を考えたかって言うと、どんな呼び方があるかなぁ・・・ッテナことではなく(じゃあ言うな!←←←お決まりで突っ込んでみました)トイレに入っている時は完全に1人ですよね、大方の場合。他の人がトイレでどうしているかって、本当のところは知りませんよね。知ろうともしないし、聞きもしないよね。うっかり聞こうものなら「(゜Θ゜)エ?」って顔されそうだし。

 だから(なのか「だのに」なのか接続のしかたに迷うけど)自分のしている事(トイレでの生態)については疑問を持たないよね、ほとんどの人は。みんな自分と同じように「用」を足していると・・・思い込んでいませんか? 果たして本当にみんな同じなのだろうか?

 確かめようもないけど、ひょっとすると思いもよらない行動パターンの人がいるっテェ可能性も否定できない訳で、私にとって「思いもよらない」行動パターンの人にとっては、私の行動パターンが「思いもよらない」ものである訳で・・・あ〜こんがらかる(←これって方言?・・・国語辞典をひきましたら、ちゃんと載っていました。標準語なんですねぇ(^_^;))。

 こういう事、世の中にも良くあるんじゃないだろうかと・・・マ、そういう事を考えた訳です。閉鎖社会の中だけで暮していると、そこのルールが総て&絶対になってしまう。自分達の外に違うルールの世界がある事を想像することもできないし、もちろん違うルールを受け入れる(or認める)事も出来ない。

 お互いに接点がないウチは問題も起らないのだけれど、情報の伝達速度が加速して、時間的空間的な互いの距離が近づいている今の世の中では、地球上の人々が全く接点を持つ事無く生活するのは不可能になりつつある訳で。それなのに考え方や物の見方が旧態然とした閉鎖的なものでしかなかった場合、お互いを否定し、挙げ句に力で服従させようとしてしまう・・・そういうことを民族単位や国単位で行っているのが「紛争or戦争」なのでは?

 今、世界のあちらこちらで起こっている紛争や戦争は宗教的対立が根底にある(?)(詳しい事は勉強不足なので、断定はしないけれど)ように思う。宗教(特に一神教=キリスト教、イスラム教等)はもともと選民意識の強い集団だから、どうしても排他的な傾向が強くなる。お互いに「自分達は正しい、ヤツラが間違っている」と信じているのだから、各々が「正義の戦い」をしていることになる。

どうも人と言う生き物は「正義と言う大義名分」に「酔う」傾向があるような・・・そんな気がする。ひねくれもの@ぽーにゃんは「正しい」は「素敵な事」なんだろうか?と考えてしまう。不完全な生き物である人にとって、「正しい」は「グロテスク」じゃないだろうか?

 ひどく汚されていた会社のトイレで、どうやったらこんなに汚せるんだろうと思ったのね。私流の使い方ではどうしても不可能なんだよねぇ、その汚し方。掃除当番でもないのに、止むに止まれず(あるいは成り行きで)トイレ掃除をしながら「こんな小さな個室の使い方でも行動や価値観の違いはあるものなのだんなぁ…まして○○おや」と、そんな事を考えてしまったのでした。

 思考の飛躍が突飛すぎるかな(^_^;) 最後にお口直し(?)にトイレの呼び方いろいろ(思いつく範囲でネ)。お手洗い、厠、化粧室、レストルーム、御不浄、便所、雪隠、憚り・・・他にも何かあったら教えてね(^◇^;)

 

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