10月04日のくの字
 <Sabject:シャレ(駄洒落)と親爺ギャグってさぁ…>

 最近、シャレ(駄洒落)を言うと何でもかんでも「親爺ギャグ」だって揶揄する人、多いけど、それって違うと思うな。駄洒落と親爺ギャグは似て非なるもの、別物なんだよ、と言いたいの。だって、ぽーにゃん@、駄洒落とか言葉遊び、すっきやねん(突然関西弁モドキ(=^^=))

 古典の時間に「掛け詞」とか「本歌取り」って習うじゃない? 駄洒落って掛け詞の現代版だと思ってるの、ぽーにゃん@は。

 和歌とか短歌って、決められた言葉数の中で、同音異義語を使って複数の意味を込めたり、情景を膨らませたりしたていたんだよね。これってたくさん単語を知らないと出来ないことでしょう?なんて言うか…高度な言葉遊びって感じかな。

 じゃ、親爺ギャグは?って言うと、使いふるされてパターン化された「ギャグ(?)」を習慣的に使って、自分だけ面白がってるシーンを思い浮かべちゃうんだよね。考え無しに条件反射で言葉が出てくる、みたいな。『駄洒落を言うのは誰じゃ、シャレを言うのはよしなシャレ、なんてな。ガッハッハ』とか。

 何が違うのかというと…駄洒落は頭が回転しているのに対し、親爺ギャグは頭が動いていないってことじゃないかな? それと、駄洒落は場を和ませるけれど、親爺ギャグは場を凍らせる。

 好感度低い上司が親爺ギャグを言ったら、内心「ウェッ!」って思っても、お愛想笑いのひとつもしないわけにはいかないよね、使われる身としては。そんな笑えない状況が「親爺ギャグ!」っていう、非難を含んだ言葉を作ったんじゃないかなと想像しているんだけど。

 でもね、親爺ギャグと同一視されるに至った駄洒落のことを思うと、不憫なんです。「平安時代の教養」「江戸時代の粋」が培って来た言葉に対する愛情みたいなものが、駄洒落にも反映されてるって思うんだよね。だからね、小さい声で言うんだけど、言葉遊びとしての駄洒落を、おおらかな気持ちで楽しみませんか?(誘ってどうする>>>ぽーにゃん@)

 to Top  to Index  to Next