「楽しい」と「素敵」の凸凹道を行く!
 

 映画が大好き!な高校生でした。一高の正門に続く、通称「映画館通り」にあった「オリオン座」《後に新大町に移転し、残念ながら今は存在しないのですが》に、一人で通っていました。自分の思いに自信が持てず、自己主張も上手くできない幼い高校生だったので、友達を誘う事もせず、同志を募る事もぜず、映画の話をする事もなく、本当にこっそりと映画を楽しんでいました。

 上京し、学生生活を始めたばかり頃は、新しい環境に右往左往し、映画を見る余裕はありませんでしたが、半年もすると生活にも慣れ、演劇&映画情報誌を手に、都内の映画館や名画座の上映スケジュールを調べ、手当り次第に映画を見て歩きました。休日には一日に4〜5本の映画をはしごして、腰や背中が痛くなり、船酔いならぬ映画酔い(?)になった事もありました。

 その情報誌で「映像演技の指導をします」という広告を目にしました。映像演技という初めて聞く言葉に魅力を感じ、広告元の養成所の門を叩いたのが演技者としてのスタートとなりました。

 ここで出会ったトレーニング方法は画期的で、従来の演劇の練習という概念とはまるで違うものでした。トレーニングメニューには、発声練習(直立して大声で行うもの)や台詞術といったものは一切なく、リラックスや自己解放、集中力(コンセントレーション)、想像力(イマジネーション)というメニューが並んでいました。

 演技者とは「己の肉体を道具として、他者(=役)を具現化する表現者」であるから、道具としての自分(=肉体と感情)を常にニュートラルな状態にチューニングできなければならない。そのチューニング方法を身につけるのがトレーニングの主眼であると教えられました。《“楽器の演奏者は、演奏前に楽器をチューニングするよね。それと同じように役者は自分自身をチューニングするべきなんだよ”と、当時の指導者は喩え話をしてくれました。余程「何の事か解らない…」という顔をしていたんでしょうね。》

 このトレーニング方法は「メソード(またはメソッド)」と欧米では呼ばれています。ロシアのスタニスラフスキーと言う人物が、その著作「俳優修行」の中で提唱し、ヨーロッパ(特にイギリス)に広まり、アメリカではエリア・カザンとリー・ストラスバーグが「ニューヨーク・アクターズ・スタジオ」で実践指導し、ハリウッドの多くのスターがこの方法によって演技者としての花を咲かせています。

 日本国内では、伝統的に「芸は、型を真似る事から始め、長い時間をかけて奥義を会得する」という方法論が根強く残っているので、「メソード」が一般的なトレーニング方法として浸透するには、まだまだ時間がかかるかもしれません。

 実際のメソードトレーニングは多岐にわたっているので、文章で書き表すのはとても困難ですが、一番大切な核となっているのは「自分を客観視して点検し、コントロールする」と言う事です。

 個人的には、このトレーニングを続けて来たことによって、自分自身でも気づいていなかった自分を発見したり、五感の豊かさを再認識したり、抑圧から解き放たれたり…言葉や形にできない収穫を得る事ができて《大袈裟だと思われるかもしれませんが》生きるのが楽になったと感じています。そしてこのトレーニング方法(=メソード)と出会えた事にとても感謝しています。

 さて、唐突ですが、ドラマや映画、舞台で演技している役者を見て、演技をするというのは自分には縁のない、何か特別な事だと思っていらっしゃいませんか?もし、そう思っているとしたら、ちょっと普段の生活を思い返してみてください。人間は社会生活を営む中で、自分の役目や立場に応じて「自分」を演じ分けています。役者との違いは「自分を演じている」か「自分以外の人(=役)を演じている」かです。いかがですか、思い当たるフシがあるのではありませんか?生まれたての赤ちゃん以外は、ほんの小さな子供でも、みんな芝居をしている時があるんです。ですから演じるというのは何も特別な事ではなく、誰にでもできる事、誰でもしている事なのです。

 人が集まり「ある社会」を形成し、集団生活《共同生活?》を円滑に営むために、常識といわれる共通意識を共有し、社会のルールが作られました。その社会の一員になるために、成長過程において様々な「やってはいけないこと」や「やらねばならないこと」を身につけて行く事になります。それは少なからず本能を抑制する方に向かっていますから、原初的な自分の欲求を押さえ込む事になります。抑圧された欲求が上手に昇華されていれば問題はないのですが、昇華されないまま無意識下に沈められた欲求は、ストレスの大きな原因になってしまう事があります。

 協調性ある社会人を「演ずる」ことによって生じる、この種のストレスを上手に昇華させる手段の一つとしてメソードを利用するのが有効ではないかと、自分の経験から感じています。メソードは自分の気持ちや体の歪みに気づき、本来の自分を発見し、解放する(ニュートラルにする)トレーニングです。欲求を解き放した後は不思議な爽快感を味わう事ができます。

 劇団one!のトレーニングにメソードを取り入れてから、そろそろ1年になりますが、思った以上の効果が出ていると感じています。気づきの度合いには個人差がありますし、トレーニングの量も同じではありません(アマチュアのため、仕事の関係等でいつも全員が揃う訳ではない)ので、すべての団員が同じように発見や解放が出来ている訳ではありませんが、トレーニングの後は、どの団員も爽やかな顔付きになっています。

 人間の体は実に高性能に出来ていますので、日常の行動や反応について、個々の筋肉の動きをいちいち意識しないで生活していますが、筋肉の使い方や骨格の構造を理解して動作を再確認すると、体の痛みを軽減したり、悪化を防ぐ事も出来ると言う、おまけ(?)の効果も、メソードトレーニングにはあります。

 将来的には、演技者を志す人以外にもメソードのおもしろさや爽快感を経験し、あるがままの自分を発見してもらえるような機会を持てれば素敵だなぁと思っています。もし、この拙文をお読みになって、メソードに興味をお持ちになった方がいらっしゃいましたら、劇団one!の稽古を見においで下さい。いつでも、どなたでも歓迎いたします。

 最後に少し言い訳を…おしゃべりが好きで、話をするのは苦にならないのですが、文章を書くのは不慣れですし、得意ではありません。読みにくい文章になっているのではと不安です。こんな拙い文章にお付き合いくださり、最後までお読み頂いたことに感謝致します。ありがとうございました。

 

<2004年12月1日発行、岩手県立一関第一高等学校PTA会報「温故知新」掲載文>

 

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