下有住 「しもありす」 |
旧跡
【外舘城跡】
◆ 下有住の十文字地域から北の方向の山を眺めるとお寺が見える。そのお寺は曹洞宗万福寺という。
寺の裏山には土塁などが残っており、一見して古城跡らしいことがわかる。これが下有住の外舘城跡である。
記録によると城主は、今野左近とか、及川常陸などの名前が知られている。近世から南部藩の侵攻、攻撃を受けており、住田地域の舘では度々の戦場となったことで知られる。 |
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【新切番所跡】
◆新切(にぎり)の平沢に入る二又路にある水田が「新切番所跡」である。新切街道は、遠野と十文字を結ぶ街道で、その間にはわらび峠を越えなければならない。遠野に行くには下有住から最も近い街道であるが、他の街道に比べ人馬の往来は少ない。
しかし、盛岡南部藩との境を監視し、侵入を防ぐ番所としても重要であった。 |
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名勝・文化財
【新切のドビヤ】
◆「ドビヤ」とは、この地方の方言であり岩山の洞窟に「お宮」が祀られていることを言う「洞宮」(どうみや)が「ドビヤ」と訛ったものと思われる。
多くの家では、戸別に神様を祀っていたが、どの家でも年数が経つと荒廃してくるので、これをまとめて集落の人が共同で手入れをし、崇拝するように洞窟に安置したものと思われる。
下有住奥新切の「ドビヤ」は、11月3日、年一回のお祭りが行われる。
(写真はドビヤ前の石碑) |
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【供養前】
◆村の発展を願う村民の心ある有志が、いつの頃からか「鎮守の森」をつくりあげたもので、これがその「供養前」である。
今は国道の改良工事などにより地形も変わり、天然の美しい環境も昔の面影もやや薄らいだが、百有余年を思わせる老松と古桜が、仲むつまじく天をさえぎるように高くそびえ、その根本には苔むした供養のための多くの碑が建っている。 |
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【松日橋】
◆気仙川に架かる手作りの一本橋。
大水や台風などがおこると流されてしまうが、ワイヤーなどで材を固定してあるので、流されてもすぐに建て直すことが出来る。
今ではあまり見かけなくなったこの一本橋は地元では「松日橋」という名で呼び親しまれている。 |
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神社・寺院
【月山神社】
◆下有住高瀬にあり、「月読尊」を祀る「旧下有住村社」である。
祭日の11月3日には、下有住地区の住民が五年ごとに祭りを行うほか、毎年地域の住民が集まってお祝いをする。
伝承によると、慶長年間(1596〜1614)に吉田筑後政義が移し祀ったものと伝えられる。
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【御月山長桂寺】
◆下有住高瀬にある曹洞宗のお寺で、宮城県桶谷町の竜渕寺の末寺にあたる。「御月山」を号し、本尊は「釈迦牟尼如来」で、脇仏は「文殊菩薩」と「普賢菩薩」の、いわゆる釈迦三尊が安置されている。
境内の北には樹齢数百年にもなる玉桂が数十本株立ちして繁茂しており、寺の前にも樹齢を重ねた杉がそびえる。 |
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祭りと芸能
【月山神社五年大祭】
◆下有住地区全体のお祭りで、下有住小学校のグラウンドで開催される。
月山鹿踊りや外舘鹿踊りの他、権現様や新切剣舞いに新切神楽などの様々な郷土芸能を一度にみることが出来る。
他にも山車や地域ごとの手踊りなどもみることが出来る。
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【行山流高瀬鹿踊り】(月山鹿踊り)
◆下有住高瀬に伝えられている「高瀬鹿踊り」であるが、旧下有住の「月山神社」によく奉納するので「月山鹿踊り」とも呼ばれている。
この鹿踊りは文化七年(1810)、下清水の忠吉が江刺の伊手村に出稼ぎに行き、その折り、伊手町民の神屋敷の遠藤金蔵という師匠から伝授されたといわれる。
昭和48年11月1日、「行山流月山鹿踊り」として住田町の「無形文化財」に指定され、「月山芸能保存会」が保存伝承に努めることとなった。 |
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【行山流外舘鹿踊り】(外舘鹿踊り)
◆下有住の字中上や、十文字の集落に伝えれられている鹿踊りである。1760年頃に伝えられたのが初めと云われている。明治42年(1909年)頃に中断したが、昭和34年(1959年)の秋に50年振りに復活し、現在まで踊り継がれており、昭和48年には住田町無形民俗文化財に指定される。
これまで、町の郷土芸能発表会や花巻まつりに毎年出演するとともに、気仙郷土芸能まつりなどでも踊りを披露している。県外では、昭和48年の北海道登別温泉、昭和62年の横須賀市制80周年記念パレードの招待出演や、昭和63年の全国青年大会での発表などがある。 |
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