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『大股地区の地名の由来』
 その昔、早池峰山の麓に、山に登る人々を清めるための寺があった。ある晩のこと、身の丈七尺もある山姥が現れ和尚が焼いた餅を食べてしまう。毎晩のように山姥が現れて食料を食べてしまうので、困った和尚は山姥を退治すること決意するが山姥の怒りに触れて早池峰山は嵐となり大洪水となった。そして寺は種山ヶ原の頂上まで押し流され和尚は岩にぶつけれれて身体がバラバラになり、和尚の身体の股が辿り着いて沈んだところが「大股」となり、両手が沈んだところが「小股」となった。それから何百年か後、大股ではこの殉死した和尚の冥福を祈るためにこの寺に伝わっていた「南部神楽」を復活し、これを代々受け継いで演じることにしたという。

大股 「おおまた」

旧跡

旧大股小学校
◆平成四年に木造校舎として新築したが、学校の統廃合に伴い、平成12年に廃校となる。

現在は大股地区公民館として地域住民のコミュニティーセンターとして活用されているほか、大股神楽の伝承館としても利用されている。

校庭のほとりには炭焼小屋があり今でも炭を焼いている。

また、グリーン・ツーリズムの会場としてもしばしば利用されている。


ひる子舘金山跡
◆かつての気仙五金山の一つ。南部、伊達両藩の境にあるため、長い間紛争が絶えなかったが、寛政18年、両藩の役人が領界を申し合わせてようやく藩境が確定した。

明治末期の記録や絵図面では約15万坪の経営面積と記されている。


栗木鉄山跡
◆伊達藩士の三浦乾也が藩の命で築いた藩直営の洋式高炉。

明治時代は官営となって南部鉄瓶の原料を永沢羽田に運んだ。

大正11年の閉山まで約1世紀、高炉の火は燃え続けた。



名勝

種山ヶ原


◆江刺市の一部を含む広大な高原。宮澤賢治がこよなく愛し、たびたび訪れた。

伊達藩時代から放牧地として利用され、現在も500町歩が草地造成されている。

物見山標高871mには、無人雨雪量観測所が設置されている。


環川


◆種山ヶ原から流れる川と木地山小牧倉から集めて流れる川が落合で合流し、激しい流れとなる。深い谷底をえぐり、しぶきをあげて岩に突き当たる渓谷美は圧巻。

宝暦年間に書かれた「気仙風土草」にも出てくる昔からの名勝である。

※場所はわかりずらいので、地元の人に道を聞いた方がよい。

祭・民俗芸能


大股神楽

◆明治33年(1900年)奥州市(旧江刺市)餅田の伊平という神楽師匠から伝授されたのが始まりという。現在も大股三社祭りなどで奉納される。

この神楽は「七拍子の神楽」と称せられ、神楽歌のあげ方は奇数を原則としている。早池峰系の山伏神楽の系統が、式六番なかの「鳥舞」に見られる。


大股三社祭

◆大股地区の三年祭で、大股にある大股の八幡神社、中井の八坂神社、津付の山の神の三社合同のお祭り。

貴重な地域芸能がみることの出来るお祭りで、大股地区公民館の体育館で開催される。


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